小江戸川越、川越商人に育まれて


川越が小江戸と呼ばれるのはなぜか。
観光パンフレットをめくると『江戸時代、幕府の北の要衝(交通、産業のうえで大切な地点)として重要視され、小江戸と呼ばれるほど繁栄を遂げた川越。』という記述がある。これをもう少し掘り下げると、川越にある喜多院(830年に慈覚大師によって創建された天台宗の名刹)と関わりが深いと思われる。

江戸時代はじめの喜多院の住職、天海僧正は徳川家光に見いだされ、秀忠、家光と徳川三代にわたり指南役として仕えた名僧でした。喜多院が寛永15年、1638年、家光の時代に川越の大火で山門だけ残してすべて焼失したとき、知らせを聞いた家光が『天海の寺』を再建するために、わざわざ江戸城から御殿を運ばせました。なんまん人という人手をつかって舟で運び、これがきっかけとなり江戸との舟運による交易が活発になったのです。天海僧正がいなければ、小江戸と呼ばれるほどの発展はなかったと言えると思います。

川越のシンボル 時の鐘 蔵の町の街並み

時の鐘と蔵造りの町並みについては、明治26年の川越の大火でほぼ焼失したのですが、その再建の中心となったのは川越商人でした。時の鐘は焼失後、近代的なものにはせず、川越商人が江戸時代のまま残すことにこだわり、今も江戸の時の鐘を見ることができるのです。蔵造りのまちなみも、焼失後やはり江戸の町並みそのままに川越商人によって再建されました。
さらに平成4年に完成した電線の地中化も、商店街が市に陳情したことから実現し、江戸情緒さながらの景観を楽しむことができるのです。 まさしく川越商人たちに大事にされている町並みと言えます。

下のライトアップの写真。
今年3回目となる「川越 灯りと音と文化の祭典」の催しひとつ、「小江戸川越ライトアップ」
10年後市制施行100周年となる川越市の、新たな街づくりへの飛躍へ向けての試みです。

いずれの写真も、写真をクリックしていただくと大きな画像をご覧いただけます。スマホの方もクリックで!

参考資料として
西武鉄道刊「川越ロマン」を使わせていただきました

 

 

「おもてなしのライトアップ}東洋大学デザインチームによる。展示場所 りそなポケットパーク

[おもてなしのライトアップ]東洋大学デザインチームによる 展示場所 りそなポケットパーク

川越 灯りと音と文化の祭典の「時の祈り」

「時の祈り」 NPO法人川越蔵の会による。展示場所 熊野神社

 


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